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東京地方裁判所 昭和40年(特わ)554号 判決 1967年7月27日

被告人 坪甫 一瀬真智子

主文

被告人坪甫、同一瀬真智子を各罰金三千円に処する。

被告人両名において右罰金を完納することができないときは、金五百円を一日に換算した期間その被告人を労役場に留置する。

ただし、被告人一瀬真知子に対しこの裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。

被告人両名にしては、公職選挙法第二百五十二条第一項の規定を適用しない。

訴訟費用中、証人矢口惣治、同岡田芳雄、同田村勝治、同柳岡保夫、同深谷真佐夫、同岩城初枝、同鶴田文子、同中村和生、同白井寿一、同唐沢ユキ、同鈴木源太郎にそれぞれ支給した分は被告人両名の連帯負担とし、証人津村一男に支給した分は被告人坪甫の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人坪甫は昭和三十八年七月頃から、被告人一瀬真知子(当時の姓は山口)は昭和三十七年末頃から、いずれも関東ゴム調帯株式会社(昭和三十九年末カントウゴム株式会社と改称)に工員として入社し昭和三十九年末頃には同会社従業員の労働組合の青年婦人部役員として組合活動にも従事していたものであるが、被告人坪甫は昭和四十年七月四日施行の参議員議員選挙に際し東京地方区から立候補した野坂参三、全国区から立候補した春日正一の選挙運動に従事していたところ、被告人一瀬真智子と共謀のうえ、右両候補者に投票を得させる目的で同年六月十七日別紙一覧表記載のとおり、同選挙の選挙人である東京都江東区深川枝川町一丁目四番地田村勝次方ほか三戸を戸々に訪問し、もつて戸別訪問をしたものである。

(証拠の標目)<省略>

(弁護人等の主張に対する判断)

一、被告人両名が判示各戸を訪問したのは被告人等の属する労働組合の日常の政治活動の一環として日本共産党機関紙「アカハタ」日曜版(以下新聞と略称する)および野坂参三略伝「風雪五十年」の購読を勧誘するためであつて、野坂参三、春日正一に投票を得させる目的でなしたものではないとの主張について

被告人両名の当公廷における供述、前掲証人田村勝次、同深谷真佐夫、同岩城初枝、同鶴田文子の各供述記載、弁護人申請の各証人の供述記載を綜合すると、判示各戸の訪問に当り、被告人両名にいずれも新聞および風雪五十年の購読を勧誘する目的があつたこと、また右の行動は被告人両名が所属する組合において日常の政治活動として判示被訪問者方附近で行なつていた各種のパンフレツトの配付、販売、募金、署名運動等の諸活動と同種のものであつたことが認められる。しかし、他面右の訪問については、(1) その時期が参議院選挙が告示され、その投票日を二十日後にひかえ、選挙運動のまさにたけなわな頃であつたこと、(2) 被告人等が購読を勧誘した前記「風雪五十年」は野坂参三の経歴、業績、政治的信条等を写真入りで記述したものであること、(3) 訪問先のうち、田村勝次方では野坂参三が地方区から、春日正一が全国区からそれぞれ立候補しているから投票をお願いする旨(前掲証人田村勝次、同柳岡保夫の各証言)深谷真佐夫方では野坂参三という人は今度の選挙に出ているからよろしくお願いする旨(前掲証人深谷真佐夫の証言)、岩城初枝方では今度の選挙については共産党をお願いする旨(前掲証人岩城初枝の証言)、鶴田文子方においても購読を勧誘した新聞に関し選挙のことが書いてあるからよく読んでもらえないか(前掲証人鶴田文子の証言)等のことを被告人坪において述べていること、(4) 公明党を支持するので新聞はいらないと断つた鶴田文子方を除いては、いずれの訪問先においても被告人坪において被訪問者夫妻の姓名を繰返し質問し、田村勝次、岩城初枝は支持者として投票を拘束されあるいはそのように公表されることをおそれて教えることを拒否したこと(前掲証人田村勝次、同深谷真佐夫、同岩城初枝の各証言)、(5) 岩城初枝、鶴田文子はいずれも共産党の選挙運動であると直感したこと(前掲証人岩城初枝、同鶴田文子の各証言)等の事実が認められ、また判示各訪問は判示六月十七日午後六時半頃から八時頃までの間に連続して同じ態様で行なわれている点に照し同一の意図目的をもつて行なわれたと推認されるところ、証人岡田芳雄の第四回第五回公判調書中の供述記載および前掲各証拠物によれば、被告人坪はそれ自体野坂参三、春日正一の当選を有利ならしめると認められる印刷物多数のほか、選挙闘争資金の募金運動をも行なつていたと認めるに足る「参議院選挙募金のおねがい」と題する書面五枚(前押号の九、一〇)参議院選挙闘争資金募金帖二枚(同号の八)をも自己の居室に所持していたことが明らかであつて、野坂参三、春日正一の選挙について積極的に運動していたことを推認するに難くなく、また被告人両名の当公廷の各供述によれば、被告人両名ともその所属労働組合青年婦人部の役員として組合活動を通じて親密な間柄にあり、かつ本件各訪問先に同道したことが明らかであるばかりでなく、証人柳岡保夫の第六回公判調書中の供述記載によれば、判示田村勝次方を訪問した際被告人一瀬も来会わせた柳岡保夫に対し野坂先生に協力して欲しい旨述べたことが認められるから、以上の諸情況を綜合すると被告人一瀬は判示深谷真佐夫方では玄関口に立ち、また判示岩城初枝方、鶴田文子方では玄関前に居ていずれも玄関内に立ち入らなかつたとしても、被告人両名が判示各戸を訪問するに際しては弁護人主張の前記目的のほか、野坂参三、春日正一に投票を得させる目的をも併せ有し、その点について相互に意思の連絡があつたものと認めるのが相当である。そして右に認定したように特定の候補者に投票を得させる目的があつた以上、他に別途の目的を有し、またその一連の訪問先のうちの一戸である鶴田文子方においては投票を依頼するまでに至らないで退出したとしても、戸別訪問罪は成立するものと謂わなければならないから、弁護人のこの点の主張は採用できない。

二、被告人坪方から押収した前掲昭和四一年押第一四〇一号の一、二、六ないし一一の各証拠物は、いずれも捜査官憲が労働者の正当な組合活動ないし政治活動を弾圧する意図のもとに強大な威力を用い、本件とは無関係な物についてまで包括的な押収をなした違法な手続によるものであるから証拠能力を有しないとの主張について

前掲証人岡田芳雄の供述記載、証人鈴木源太郎、同津村一男の各当公廷の供述、司法警察員岡田芳雄の作成した搜索差押許可請求書、東京簡易裁判所裁判官の捜索差押許可状によれば、被告人坪方居室に対する捜索差押許可状は、本件戸別訪問のほか法定外選挙運動文書としての風雪五十年の頒布をも被疑事実として適法な手続の下に発せられ、これに基づき深川警察署司法警察員岡田芳雄が警察官十七名、警視庁機動隊一個中隊約四十八名の支援を得て部下警察官十名を直接指揮し、被告人坪の居室内につき昭和四十年六月三十日午前六時五分ごろから五十七分間にわたり捜索し、室内七ケ所から六十八種類の文書類を押収したことが認められるところ、(1) 被告人坪の居室は六畳間であつて同僚の平井寿一も同居就寝中のところに警察官十一名全員が同時に入室して各個に捜索したこと、(2) 被告人坪の居室のある会社構内の寮の廊下階段等にも警察官が配置されて通行が阻止され、構外にも前示機動隊が待機していたこと、(3) 押収した証拠物中には前示被疑事実を直接裏付けるもののみならず選挙運動に関する間接的な証拠物も含まれていたこと、(4) 被告人坪に交付された押収品目録の記載中には押収品の包括的な表示に止つたものがあつたこと等の事実が認められるが、右(1) (2) については被告人坪ないし同僚組合員に威圧的な捜査方法との感を与えたとしても、被告人坪は前示のように組合役員として活躍し、その居室も寮内にあつて組合員ないし支援者の妨害も予期されないわけではなく、そのため搜査官において早急に捜索押収を完了するとともに、妨害に対してはこれを排除する体制を整えておく必要があつたと認められ、現に本件捜索を開始して間もなく、被告人坪に対する被疑事実を知らないにかかわらず数十名の支援者が寮附近に集り警察官に抗議している(前掲証人鈴木源太郎の証言)のであるから右(1) (2) の措置をもつて捜査官憲に非があつたとは認め難く、(3) の事実も前示被疑事実が組織的犯罪の性格を疑わしめるものであることに照し、右事実の組織的な背景、政党、労働組合との関係、被告人坪の地位身分ないし選挙運動の状況等を裏付ける資料もまた情況証拠として本件捜索差押許可状によつて捜索押収を許容される範囲に属すると認められ、(4) の点もその包括的表示は押収品目録の記載として失当のそしりを免れないものの、本件押収の現場においては各証拠物およびその数量について被告人坪の確認を得ていること(前掲証人岡田芳雄の証言)が明らかであり、右の記載上の瑕疵はまだ当該押収手続を無効とする程重大なものとは謂い得ないところであり、その他本件捜索押収手続を違法とすべき点は認められないから、右手続の違法無効を前提とする弁護人のこの点の主張も採用できない。

三、公職選挙法第百三十八条第二百三十九条第三条所定の戸別訪問罪は選挙に際し選挙運動のためにされる訪問行為を全般的に事前に抑制するものであり、憲法第二十一条の保障する表現の自由を侵害するから違法であるとの主張について

公職選挙の公正な運営を図り選挙運動の合理的な基準を設けるに当り、選挙運動としての戸別訪問は、過去の幾多の経験に徴し、買収、利害誘導、意思強制等の選挙の自由公正を阻害する犯罪を誘発し、また被訪問者の生活の平穏を侵害するおそれがあるところから、これを未然に防止するため普通選挙法以来禁止されて来たところであり、かつ、社会の現状に照し右の禁止は叙上の公共の利益のために設けられた合理的制限として表現の自由を保障する憲法第二十一条に違反するものではないとすること最高裁判所の確立した判例(昭和二十五年九月二十七日大法廷判決、集四巻一七九九頁参照)であり、当裁判所も現在右判例の見解を変更しなければならない特段の事情があるとは認め難いから、弁護人の右主張も採用しない。

四、本件公訴は起訴状の記載自体から明らかなように不起訴処分にすべき軽微な事案であるにかかわらず、被告人両名が共産党ないし労働組合の政治活動を行ない同党候補者の選挙運動を行なつたことの故にあえて不当な捜査を行ない、かつ起訴したものであつて、憲法第十四条、公職選挙法第七条、刑事訴訟法第一条に違反し公訴権を濫用したものであるから公訴を棄却すべきであるとの主張について

公訴提起の権能は原則として検察官の独占するところでありかつ起訴するか否かについても検察官の広い裁量に委ねられているところであるが、右裁量について恣意の許されないことはいうまでもなく、数十年の歴史的背景を有する不起訴処分の実情をも勘案して考察すると、検察官において公訴を提起しこれを維持するに足る犯罪事実の嫌疑があると思料する場合においても、刑事訴訟法第二百四十八条掲記の諸事情をも考究斟酌し、不起訴(起訴猶予)処分を相当としないとの判断を経て起訴に至るべきものと解せられるから、全く犯罪の嫌疑のないことが明白であるのにことさらに公訴を提起し、また起訴猶予を相当とすべき明白な諸事情があるのに故意に起訴したことが客観的に明らかである等検察官の公訴提起それ自体が違法と認められる場合には公訴提起の手続に違反するものとして判決により公訴を棄却しうる(刑訴法第三百三十八条第四号)と謂うべきである。しかし本件にあつては、被告人両名は判示戸別訪問罪を犯したことが明らかであつて、同犯罪事実を探知した捜査官においてその証拠資料の収集に努めることは当然のことであり、さらに本件捜索押収に関し前示したところから明らかなように組織的犯罪の疑いのあつた本件につき数回の呼出に対し何等の応答もなく(前掲証人岡田芳雄の証言)、従つて逃亡ないし罪証湮滅のおそれを生ぜしめた被告人両名を逮捕するに至つたこともやむを得ないものとして是認できるばかりでなく、被告人坪については、たとい本件戸別訪問先が四戸であるとはいえ、前示のように野坂参三、春日正一に関する積極的な選挙運動の一環としてなされたものであり、被告人一瀬についても、後記のとおり、二戸については戸別訪問の目的について証明が十分でないとはいえ六戸を訪問し、公訴提起当時はそのすべてについて戸別訪問罪の嫌疑は極めて濃厚であつたことが認められ、さらに被告人両名の本件犯行はいずれもその所属する労働組合の政治活動と併せて行なわれ、被告人側からの積極的弁解もないまま本件が政治活動に仮装した悪質な犯行であるとの疑いを強くした等の諸事情に照せば、本件を起訴猶予処分とすることなく起訴したことをもつて検察官の公訴提起の手続が違法であるとは到底認められず、また本件捜査、起訴手続のすべてについて、共産党ないし労働組合の政治活動を抑圧することのみを目的とし、あるいは被告人両名を不当に政治的に差別したと認められる形跡はこれを認め難くその他本件公訴提起手続を違法ないし無効とする事由はないから弁護人のこの点の主張も採用できない。

(法令の適用)

被告人両名の判示各戸別訪問の所為は公職選挙法第百三十八条第一項第二百三十九条第三号刑法第六十条に該当し包括一罪を構成するので、所定刑中いずれも罰金刑を選択するが、犯情について考えると、本件は選挙運動期間中に新聞購読の勧誘等の政治活動と併せ特定の地域で集中的に行なわれたものであつて、他の政党政治団体の構成員等による類似行為の誘発のおそれ等も考えられ、一般予防的見地からは軽視しえないところではあるが、本件戸別訪問先は僅かに四戸に止まり、また訪問先の態様も選挙の公正を実質的に阻害する買収等に結びつくおそれも少く被訪問者に迷惑を感じさせる程度も僅少であつて、ことに被告人一瀬は従属的立場にあつたばかりでなく、本件は被告人両名がその所属する労働組合の政治活動に関連して行なわれているところ、現在被告人坪は組合役員の地位を退き、被告人一瀬も結婚して会社をやめ一児の母として家庭にある等の諸事情に鑑み、前示所定罰金額の範囲内で被告人両名をいずれも罰金三千円に処し、刑法第十八条に従い被告人両名において右罰金を完納することができないときはいずれも金五百円を一日に換算した期間その被告人を労役場に留置することとし、同法第二十五条第一項に則り、被告人一瀬につきこの裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予し、公職選挙法第二百五十二条第四項に従い、被告人両名に対し同条第一項所定の選挙権及び被選挙権を有しない旨の規定を適用しないこととし、訴訟費用につき刑事訴訟法第百八十一条第一項本文、第百八十二条に則り、証人矢口惣治、同岡田芳雄、同田村勝治、同柳岡保夫、同深谷真佐夫、同岩城初枝、同鶴田文子、同中村和生、同白井寿一、同唐沢ユキ、同鈴木源太郎に支給した分は被告人両名の連帯負担とし、証人津村一男に支給した分は被告人坪に負担させることとする。

(本件公訴事実中有罪部分以外の事実について)

本件公訴事実中有罪と認定した部分を除くその余の事実の要旨は、

被告人一瀬真智子は氏名不詳の男と共謀のうえ、判示選挙に立候補した野坂参三、春日正一に投票を得させる目的で、昭和四十年六月十六日同選挙の選挙人である東京都江東区深川塩崎町一新幸ホーム内の本間実方および同ホーム内の和田尚方を戸々に訪問し同人等に対し右候補者に投票するよう依頼し、もつて戸別訪問をしたものであるというのである。

証人本間実、同和田尚の第七回公判調書中の各供述記載、被告人一瀬の当公廷の供述を綜合すると、昭和四十年六月十六日午後六時頃から八時過頃までの間被告人一瀬は氏名不詳の男と同道して本間実方および和田尚方を順次訪問し、被告人一瀬は終始沈黙していたが、右氏名不詳者において本間方では新聞の継続購読を勧誘し、次いで風雪五十年を販売し、選挙の話もあつて野坂参三春日正一の名前も出たこと、和田方では新聞を配達し、風雪五十年を販売し、野坂参三の立候補の話があつて和田が投票しようかと言つたのに対し氏名不詳の者がよろしくお願いしますと述べたこと等の事実が認められ、これを判示有罪となつた事実と併せ考えると、外形上は右有罪となつた事実と類似し、本件についても被告人一瀬が右氏名不詳の男と共謀のうえ野坂参三、春日正一に投票を得させる目的で戸別訪問をなしたものと認め得るもののように見受けられるのである。

しかし本件は判示有罪となつた事実の前日のことであつて、しかも同行者を異にし、また被告人一瀬は終始沈黙していた(前掲証人本間実、同和田尚の各証言)のであるから、有罪となつた事実について推認した被告人一瀬の意図ないし目的を安易に本件に押し及ぼし得ないことはいうまでもなく、寧ろ別途にこれを検討する必要があると認められるところ、まず、検察官の主張する被告人一瀬方居室から押収された「参議院選挙募金のおねがい」六枚(前同押号の一二)、選挙活動のてびき一枚(同号の一三)について考えると、証人長野登代吉の第三回公判調書中の供述記載によれば、右はいずれも被告人一瀬方居室の右側の箪笥の最下段引出から押収された物であるが、その引出については捜索の際被告人一瀬から姉の使用部分である旨告げられたことが明らかであり、右証人に対する一瀬の反対尋問の具体性および同被告人の当公廷における供述に照すと、証人長野登代吉の被告人一瀬に自己の物であることの確認を得て押収した旨の証言はやや信用性に乏しく、却つて姉の所有と認むべき蓋然性が強いから、右証拠物はそれ自体所持者について活発な選挙運動を推測させるに足るものではあつても、これによつて被告人一瀬の選挙運動を推認することはできない。のみならず、前示証拠によつて本件訪問先での状況を仔細に検討すると、本間方については被告人は本件訪問の一月位前に本間が会長をしている町内自治会の副会長をしている林某を介して新聞の購読を受けることとなり、その際本間に会つた後一回は配達に赴き、本件は三回目で顔見知りの間柄であり、前示新聞の継続購読を勧誘した後は話し好きの本間が話しかけるのに応じて社会時事問題や選挙の話になり本間から選挙は当選した者が嘘をつくから嫌いだ、関心がない等の話があり、さらに本間が氏名不詳者の携帯していた風雪五十年を自分で言い出して買つたことがきつかけとなつて野坂参三の立候補の話になり間もなく辞去したことを認めることができる。もつとも本間の検察官に対する供述調書によれば、氏名不詳の男は新聞の継続購読を勧誘した直後風雪五十年を出して説明し、時事問題や共産党の政策を述べた後、野坂参三、春日正一両名に応援して欲しい旨述べた旨の記載があるが、同調書には、右風雪五十年の説明の後本間は「野坂さんの過去のことについて私が前に聞いた事例えば野坂さんは亡命するとき労働者の金を取つて逃げた人だが知らないだろうなどと話したら二人は黙つて聞いていました」との供述記載が見られるのであつて、このような強い野坂批判を行なう本間実に対しその直後投票を依頼したとすることはいささか不自然の感を免れず、右投票依頼の部分は措信し難い。

次に和田方について見ても、被告人一瀬は四、五回新聞を配達し、最初新聞勧誘に訪問したときも他の男の人と一緒であり、その後の配達の際上り込んで話し合う等顔見知りの間柄であつたところ、当日も氏名不詳の男と同道して新聞を配達し、同人方居室に上つて話し込むこととなり、時事問題から共産党のあり方に話が移り、和田が民社党を支持し共産党は嫌いだ等といつて論争となり、風雪五十年を買つてから更に政策論争を続け二時間近くもいて帰りぎわに、和田が冗談にそんなに共産党がいいなら投票しようかといつたのに対し、じやあ、よろしくお願いしますと言つたものであることが明らかである。以上の事実を綜合すると、本件本間、和田方の訪問に当つて、氏名不詳の者と被告人一瀬に新聞を配達しながら新聞の継続購読を勧誘することと風雪五十年の購読を勧誘する目的があつたことを認めることができるが、進んで野坂参三等に投票を得させる目的があつたか否かについては、(1) 選挙関係の話がいずれも時事問題ないし政党の政策に関してなされていたに過ぎず、(2) しかも右時事問題等も本間実、和田尚の方から引き出した傾きがあり、(3) 本間、和田とも選挙ないし共産党に無関心ないし反対であることが話の経過で明らかにされ、ことさら投票依頼の話が出る雰囲気ではなく、従つて積極的に投票を依頼する趣旨の話は出なかつたこと、(4) 本間、和田とも被告人一瀬等の本件訪問が投票依頼に来たものであるとは全く感じなかつたこと(証人本間実、同和田尚の各証言)等の事実に照し、氏名不詳者と被告人一瀬の本件訪問に当初から投票を得させる意図目的があつたと認定することは困難であり、寧ろ話し好きな本間、和田等と長時間話し込むうちの話題が選挙に及んだに過ぎないと推認すべき蓋然性が高いといわなければならない。もつとも選挙運動のたけなわな時期に初対面の氏名不詳者が、すすめられたとはいえ居室に入り、風雪五十年の購読を受け長時間にわたり話し込んだ点のみを重視すれば、同人には野坂参三等に投票を得させる目的をも併せ有していたと推認すべき疑いも相当強いことは否定できないところであるが、右氏名不詳者の地位、身分、選挙運動に対する関与の程度、被告人一瀬との接触交際の程度等の立証がない本件にあつては、前示のように本件各訪問先で終始沈黙していた被告人一瀬に対し、野坂参三等に投票を得させるについての希望願望の程度をこえ、より積極的な意図、目的があり、かつその点について右氏名不詳者と共謀があつたとの推認を下すことは困難というのほかなく、結局本件事実についてはその証明が十分でないと謂わなければならないが、本件事実は、判示有罪と認定した事実と包括一罪として起訴されたものであるから、とくに主文において無罪の言渡をしないこととする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 千葉和郎 小瀬保郎 高木俊夫)

一覧表<省略>

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